大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

広島高等裁判所松江支部 平成元年(ネ)32号 判決 1992年12月11日

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  附帯控訴にもとづき、原判決を次のとおり変更する。

1  控訴人(附帯被控訴人)は被控訴人(附帯控訴人)に対し、金四〇九八万七七五八円及びこれに対する昭和六〇年二月二八日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  被控訴人(附帯控訴人)のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は第一、二審(附帯控訴費用を含む)を通じ五分し、その一を被控訴人の負担とし、その余を控訴人の負担とする。

理由

(事実経過)

一  当事者間に争いのない事実は、原判決一四枚目表五行目から末行までに摘示のとおりであるから、ここにこれを引用する。

二  右事実に《証拠略》を総合すると、以下の事実が認められる。

1  花子は、昭和五九年五月ころ第一子である被控訴人を懐妊し、同年七月一一日より横浜市内の的野医院で同医師(前医)の、昭和六〇年一月二四日からは帰郷分娩のため控訴人の本件国立病院で主治医相原医師の診察を受け、同年二月二七日(妊娠四〇週三日)被控訴人を分娩した。

2  相原医師の所見を含む妊娠、分娩経過は次のとおりである。

[花子]:昭和三〇年五月二一日生、身長一五三センチ、非妊娠時体重四七キロ、糖尿病罹患歴なし。

[前医診察]:昭和五九年八月八日(妊娠一一週) 子宮底長八センチ、腹囲七二センチ、血圧六二~一〇四、浮腫マイナス、尿蛋白マイナス、尿糖マイナス、体重四八・二キロ。九月一三日(一六週) 子宮底長二〇センチ、腹囲八一センチ、血圧七五~一二〇、浮腫マイナス、尿蛋白マイナス、尿糖マイナス、体重五一キロ、児頭大横径三・六センチ。一〇月一七日(二一週) 子宮底長二四センチ、腹囲八二センチ、血圧六八~一〇五、浮腫マイナス、尿蛋白マイナス、尿糖一プラス、体重五四キロ(体重増加に注意)、児頭大横径五・〇センチ。一一月一四日(二五週) 子宮底長二九センチ、腹囲八五センチ、血圧六六~一一〇、尿蛋白マイナス、尿糖マイナス、体重五六キロ、児頭大横径六・一センチ。一二月五日(二八週) 子宮底長三〇センチ、腹囲八九センチ、血圧八七~一三二、浮腫マイナス、尿蛋白マイナス、尿糖マイナス、体重五七キロ。一二月二六日(三一週) 子宮底長三一センチ、腹囲九〇センチ、血圧七五~一一〇、浮腫マイナス、尿蛋白マイナス、尿糖一プラス、体重五七・六キロ。昭和六〇年一月一〇日(三三週) 子宮底長三五センチ、腹囲九一センチ、血圧七五~一一一、浮腫プラス、尿蛋白マイナス、尿糖マイナス、体重五八・四キロ、児頭大横径七・八センチ。帰郷後の担当医師の下で糖尿病検査を勧める。

[国立病院診療体制]:常勤医師二名(相原医師と佐藤医師、非常勤医師として八田医師)、助産婦八名で三交替制。

[相原医師ら診察]:昭和六〇年一月二四日(三五週五日) 問診に対し、母親が糖尿病治療中であることとGTT検査につき前医の注意を伝言、前医の添書持参、第{2}頭位(以下の診察時にはすべて同じである。)、子宮底長三二センチ、腹囲九五センチ、血圧六〇~一二〇、浮腫プラス、尿蛋白マイナス、尿糖一〇〇〇ミリグラム/デシリットル、体重六一キロ、Bモード(児頭大横径は測定せず、以降分娩まで超音波断層診断はない。)、但し同日の担当医は八田晴夫非常勤医師で、家族素因も考慮してGTT検査手続を始めたが、右検査については内科外来での診察が必要とのことで、次回の尿糖検査の結果次第で実施することにし、糖分控え目にとの注意を与える。一月三〇日(三六週) ザイツマイナス、子宮底長三三センチ、腹囲九四センチ、血圧七八~一二八、浮腫マイナス、尿蛋白マイナス、そして尿糖マイナスによりGTT検査の必要性を否定、体重六二キロ。二月六日(三七週) ザイツマイナス、子宮底長三三センチ、腹囲九五センチ、血圧六八~一二四、浮腫マイナス、尿蛋白マイナス、尿糖マイナス、体重六二・二キロ。二月一三日(三八週) ザイツマイナス、子宮底長三三センチ、腹囲九七センチ、血圧七〇~一二〇、浮腫マイナス、尿蛋白プラスマイナス、尿糖一〇〇〇ミリグラム/デシリットルで次回診察に空腹時の尿の持参を指示、体重六三・四キロ。二月二〇日(三九週) ザイツマイナス、子宮底長三四センチ、腹囲九七センチ、血圧七〇~一二四、浮腫マイナス、尿蛋白マイナス、尿糖マイナス、体重六四キロ。

[分娩第{1}期の経過]:昭和六〇年二月二六日(四〇週三日) 午前七時生理痛様の痛みと排尿時に出血が混じる。陣痛開始したが間歇一〇分。午後〇時三〇分入院 子宮底長三五センチ、腹囲一〇二センチ、体重六四キロ(+一七キロ)、陣痛間歇七分で性質は弱、子宮頚管伸展度七〇パーセント、子宮口開大はやつと二横指、SPマイナス二センチ、先進(児頭)部未固定、胎胞形成マイナス。午後一時一五分 陣痛を強める目的で階段昇降をすすめる。午後三時二五分、六階まで二往復しても陣痛間歇七~八分で弱、子宮口開大二横指、子宮頚管拡張用ラミナリア一〇棹挿入。午後七時 陣痛不変。午後九時 陣痛間歇五分(発作一〇秒)で弱。二月二七日午前一時五〇分 陣痛間歇三分。午前二時五〇分 陣痛間歇二~三分(発作三〇秒)でやや中、陣痛室収容。午前四時 陣痛間歇二分(発作三〇秒)で中。午前五時 陣痛不変。午前六時 陣痛不変、ラミナリア抜去、子宮頚管進展度七〇パーセント、子宮口開大五センチ、SPマイナス二センチ、胎胞形成プラス。午前六時五〇分 陣痛間歇二分(発作三〇秒)で中、怒責感マイナス。午前八時二〇分 陣痛不変、血性分泌物を認める。午前九時二〇分 陣痛間歇二分(発作三〇秒)で弱~中。午前一〇時四〇分 陣痛間歇四~五分(発作三〇秒)で弱~中、五パーセントブドウ糖五〇〇ミリリットルと陣痛促進剤シントシノン五単位点滴静注。午前一一時二〇分 児心音やや乱れる、陣痛発作四〇秒で中。午前一一時四〇分 陣痛間歇一分(発作四〇秒)で中、児心音やや乱れあり、酸素吸入三リットルで開始、午後〇時 児心音やや乱れあり、怒責感プラス、子宮口開大六センチ、胎胞形成プラス、SPマイナス一センチ、頚部は硬い。午後一時三六分 分娩室へ移る、陣痛間歇一分(発作四〇秒)で中。午後二時二〇分 陣痛間歇二~三分(発作四〇秒)で中。午後三時 陣痛を強めるため人工破膜(破水)施行、ブスコバン一管(子宮頚管を軟化させる)を筋注。午後三時三〇分 ブスコバン一管を筋注、怒責感プラス。午後四時 苦鳴を発す、子宮口ほぼ全開大。

[分娩第{2}期の経過]:午後四時一〇分 陣痛間歇二分(発作三〇秒)で弱~中、子宮口開大、怒責を開始しても陣痛弱く胎児下降不良。午後四時三〇分娩出力を強化するため佐藤医師がクリステレル圧出法を施行しても胎児下降せず。午後四時四〇分 陣痛間歇二分(発作三〇秒)で弱~中、佐藤医師のクリステレル圧出法に加え、相原医師が吸引カップ装着により吸引を開始してもなかなか胎児下降なし(徐々に下降)。午後四時五〇分 会陰約五センチ切開、吸引されたまま第{2}頭位で児頭を娩出したが、前在肩甲(母体の恥骨結合側にある肩甲で、本件では左)が恥骨に引つ掛かり、助産婦の手技では娩出せず(肩甲難産の発症)。午後四時五三分 佐藤医師によるクリステレル圧出法と相原医師の肩甲介出術(マックロバーツ法)の併用で後在肩甲(母体の仙骨側にある肩甲で本件では右)から娩出(第{1}頭位)、母体は膣壁深部裂傷により縫合多針、会陰縫合は七針、輸血一八〇〇ミリリットル

[児所見]:心拍数・一〇〇以上、呼吸・強く泣く、筋・運動活発、反射・顔をしかめる、色・四肢チアノーゼ(以上のアプガースコアー八点で正常)。

体重四三九〇グラム、身長五二・六センチ、頭囲三五・〇センチ、胸囲三四・〇センチ、腹囲三一・〇センチ、前後径一一・〇センチ、大横径九・〇センチ、小横径七・五センチ、大斜径一四・五センチ、小斜径九・五センチ。

以上、分娩第{1}期は三三時間一〇分、第{2}期は四三分であつた。

3  被控訴人は右分娩時に左腕神経叢麻痺(上腕神経叢麻痺)の傷害を負つたが、右は相原医師が後在肩甲娩出に先立ち前在肩甲の娩出を試みた際、児頭の下方への強い圧迫牽引により左側頚部が過剰に側方伸展されたのを原因とする。

4  なお、花子は平成二年六月一一日に第二子を出産している。妊娠中にGTT検査を経て妊娠糖尿病(妊娠により一過性に発現した糖認容力低下)と診断されて治療を受け、結局、CPD(児頭骨盤不均衡)と判定されて予定日より二週間早く帝王切開により分娩したのであるが、第二子も出生時の体重四二四〇グラム、身長五三センチ、胸囲三四・五センチ、頭囲三二センチの巨大児であつた。

(担当医の過失について)

一  胎児娩出術施行上の過失について

被控訴人は、相原、佐藤両医師の児頭吸引牽出を含む娩出術の施行に不適切な点があつたと主張するのであるが、本件分娩麻痺発症の直接原因は、相原医師が肩甲難産(児頭娩出後の牽引で肩甲が娩出されない状態)発生下における娩出手技の一環として児頭の下方への強い圧迫牽引を施行したことにあり、吸引牽出になかつたことは前記のとおりである。

そして、《証拠略》によると、相原医師のとつた本件娩出方法は産科臨床において広く認知されたものであること、肩甲難産には、当初肩甲娩出の困難があつてもその後自然に娩出されて母児ともに何の障害がないという場合から、いかなる処置を施しても娩出が不可能である場合までその程度に軽重があるが、一般に児頭娩出後から躯幹娩出までの許容限界時間はわずか三分程度とされていて、これを超えると臍帯圧迫による胎児への血流停止、ひいては胎児が低酸素状態に陥つて胎児の死亡を含む重篤症状の発生は不可避であるため、不幸にも、いつたん本件のように前在肩甲が恥骨に引つ掛かり容易に娩出されないという重篤症状が発生すると、胎児の娩出を最優先させてより重篤な結果を回避せねばならないという緊急事態にかんがみ、その過程で分娩麻痺を発生させるような瞬時の強い外力が加わつてもそれ自体はやむを得ないものであつたことが認められ、そうすると、前記圧迫牽引により本件のような分娩麻痺が予見されたとしても結果回避の可能性がなかつたから、この点において相原医師の過失を問題とする余地は存しないと考えられる。

二  分娩方法選択の過失について

1  被控訴人は、本件はCPD、少なくとも被控訴人が巨大児であつたことにより発生した肩甲難産であるから、相原医師らは諸検査等を通じてCPDないし巨大児を識別したうえ肩甲難産の発生ないしその可能性を診断し、事前あるいは少なくとも分娩中に帝王切開術を選択すべき注意義務があつたのにこれを怠つた過失がある旨主張するのに対し、控訴人は、本件分娩にはCPDを初め帝王切開術の適応を欠き、まして帝王切開児には帝王切開症候群が発生することにかんがみれば、本件で経膣分娩を選択したことは医師の裁量の範囲内のことで、その選択に過失はない旨争うので、以下検討する。

肩甲難産発生の原因については後述のとおり諸説が挙げられているところ、前記認定事実と弁論の全趣旨によると、本件では被控訴人の生下時の大横径は九センチ、胸囲は三四センチ、腹囲は三一センチであつたが、体重が四三九〇グラムの巨大児(わが国では生下時の体重が四〇〇〇グラム以上の児を巨大児という。)であつたこと、相原証言によると「被控訴人の頭は大きい方ではなかつたのに、それに比して身体は大きかつた」こと、これに前記肩甲難産発生の具体的態様に照らしてみると、本件肩甲難産は巨大児を原因とするものということができる。

2  そこで、CPD、巨大児、肩甲難産の相関関係についてみると、《証拠略》によると次のとおり認められる。

(一) CPDについて

妊娠中における母児の異常の発見、治療とともに、産科医がもつとも腐心する分娩管理上の問題の一つが経膣分娩の可否予測にあるとされている。そして、通常の頭位分娩において経膣分娩を施行する場合、胎児が母体産道部を通過できることが必要条件となることは構造的に明らかであるが、通常、児は肩甲(躯幹部分)を丸めているので肩甲部が児頭大横径(左右頭頂骨結節間の距離で、平均九センチ)より小さく、また、少々肩甲部が大きくとも肩甲の内施縮小、軟産道の伸展により、先進部である児頭部さえ産道部を通過すれば児の躯幹もこれに引き続き通過するのを通例とするため、旧来、経膣分娩における分娩障害事由として分娩管理上の問題とされてきたのは主として骨盤狭窄や、母体骨盤と児頭の不均衡すなわちCPD(「児頭と骨盤との間に大きさの不均衡が存在するために、分娩が停止し、あるいは母児に危険が切迫したり、あるいは障害が当然予想される場合」と定義される。)の症候群である。

CPDの確定診断は、複雑な分娩機序とも相まつて基本的には分娩終了後に回顧的にしかなしえないが、これに先立ち母体の身長、骨盤外計測など母体側の、子宮底長(恥骨結合上縁から子宮底の最高部位までの距離で、羊水過多症、胎児奇形を除けば妊娠中における胎児の大きさを予測する目安となる。)など児の側の臨床上の各参考所見、ザイツ法(すなわち、児頭の嵌入を触診する際、児頭前面と恥骨結合の高さを比較する方法で、前者が恥骨結合後面より低い場合をマイナスとして児頭の産道通過が可能と判断する。)による機能的診断、さらにザイツ法で問題となる症例では進んで骨盤X線計測を加えるなどにより事前予測の精確度が増してきている。しかし、結局、CPDにあつても児頭が産道部を通過できないことが明白な症例(絶対的CPDで帝王切開術を選択する。)を除いて、大部分は試験分娩による慎重な経過観察を行い、分娩停止、分娩遷延、続発性微弱陣痛の有無など産科的診断の助けを借り、疑診がついた段階で予防的帝王切開術で対処せざるをえない状況にある。

(二) 肩甲難産と巨大児について

右のとおり児頭が娩出すれば躯幹も娩出するのが通例であることは、臨床医の知見を云々するまでもなく世人の共通認識でもあるが、頭位分娩例によつては、児頭が娩出してもこれに引き続き肩甲の娩出が困難な肩甲難産が稀に発生することも臨床医に広く知られている。肩甲難産の原因として一般的には、巨大児のため肩甲が大きい場合、狭骨盤、入口前後径狭窄、児の全身浮腫、重複奇形などのほか肩甲の異常回施が挙げられるが、臨床の場で圧倒的に多いのは巨大児の場合である。要するに、近年の栄養状態の改善に伴い児の巨大化が見られるが、この場合児頭が産道を通過しても肩甲周囲が児頭より過大なため回施不全となり、骨盤出口(恥骨結合上部)につかえて娩出が困難になるもので、いつたんこれが発生した場合はもはや帝王切開術ができずに経膣分娩を続行するほかないうえ、先の理由により胎児死亡(その率は一六パーセントに達するとの指摘もある)、脳神経後遺症等の発生を避けるためにすみやかな急速(経膣)遂娩術を必要とし、その過程では本件のような腕神経叢麻痺、鎖骨骨折等を不可避的に招来したり、母体に対しても三、四度の会陰裂傷、子宮破裂等の合併症が発生することが指摘されている。

(三) 臨床における巨大児と肩甲難産の知見について

さて、臨床産科医師の団体である社団法人日本母性保護医協会が平成二年一月に発行した資料「産婦人科医療事故防止のために」は、「分娩麻痺--新生児腕神経叢麻痺への対策--」の項で、肩甲難産の頻度は分娩全体のわずか〇・三七パーセントであるが、これが四〇〇〇グラムを超える巨大児の場合は一・七パーセント、四五〇〇グラム以上の巨大児では約一〇パーセントに上昇することを報告し(学者の論文には全分娩数の一・一パーセント、三五〇〇グラムから三九九九グラムで二・九パーセント、四〇〇〇グラムから四四九九グラムで八・六パーセント、四五〇〇グラム以上では三五・七パーセントとする報告例もある)、その予防策として望ましい留意事項を掲げて臨床医の注意を喚起している。

右資料の発刊自体は本件分娩の五年後であるが、本件証拠上、昭和四一年公刊の「産婦人科の実際」所収の乙第一八号証論文では「肩甲難産は約二〇〇年前から知られているものの大多数の産科教科書ではその存在に触れられていないし、最近は若干とり上げられてきているが文献でも二、三の例外を除いて他の関連した疾患の中でわずかに触れたという程度にすぎない。」として肩甲難産がそのころまでは大きな問題とされていなかつたことを認めたうえ、改めて肩甲難産が巨大児に多いこと、発生機序、児の死亡と後遺症、一般的注意などに論及しており、昭和五八年発表の乙第一九号証論文は、肩甲難産発生機序の解明と防止策のため、産道との関係や種々の遂娩術の適切な施行上の検討を始め、児体重の正確な推定による巨大児の抽出の必要性、その際CPDのみに目を奪われて分娩方式を決定することなく、胎児、骨盤不均衡の有無として総合的な判定を下す必要性を強調し、肩幅や肩甲周囲の測定法、躯幹の大きさを含めた胎児、骨盤不均衡の予測法開発の重要性を強調しているし、第一線の臨床医が他の事件で提出した鑑定書である乙第二九号証も同様の認識を示している。そして、その後肩甲難産につき発表された平成元年発表の甲第一九号証論文、甲第二〇号証論文、昭和六二年に公刊された乙第二五号証医学書の記載内容の体裁、さらに、島田、神保両鑑定からすれば、少なくとも巨大児分娩の場合に肩甲難産発生頻度が高くなるとの相関関係ひいては分娩に当たり単なるCPDの存在のみならず、児頭を含めた胎児体躯全体と骨盤の不均衡に注意を要することは、本件当時にあつても臨床医の一般的知見であり、前記母性保護医協会発行の文書もこれを再確認したものと認められる。

(相原医師は昭和六二年九月一七日における尋問において「肩甲難産などについては日本であまり聞かなかつたと思う。詳しく知らなかつた。」旨、また、乙第三五号証の平成元年二月一四日付陳述書において「肩甲難産についての論文が見られるようになつたのは、ここ一、二年で昭和六〇年二月ころまでは殆ど無かつた。」としている。確かに、弁論の全趣旨によれば、もともと巨大児の発生頻度自体分娩例のわずか二パーセント程度で、肩甲難産の発生頻度はさらに少数になるから、肩甲難産は臨床上は稀に発生するにすぎないし、肩甲難産が問題視されるようになつたのは、CPDより後であることが認められるが、相原医師の認識が当時の一般的知見を正確に反映しているものとは考えられない。ちなみに、相原証言によれば、言葉の定義は別にしても肩甲娩出の困難例や一過性の分娩麻痺は同医師も経験していることが認められる。)

(四) 巨大児及び肩甲難産診断の医学的限界について

右のように、いつたん巨大児を原因とする肩甲難産が発生した場合には、児の死亡、重篤な後遺症の発生を完全に防止する処置がないにもかかわらず、その発生を児の娩出前に確定診断する方法、基準は産科臨床上今日に至つても確立されておらず(右は、諸家のこぞつて指摘するところである。)、肩甲難産の確定診断もCPD同様、分娩終了後に回顧的にしかなし得ない状況にあるうえ、その予測もCPD以上に困難である。

肩甲難産の大部分を占める本件のような巨大児の場合に限定してみれば、肩甲難産の確定診断を可能にするためにはCPD予測だけでは十分でなく、端的に胎児の肩幅や肩甲周囲を確実に測定し、あるいは少なくとも巨大児を確知する技術・方法が確立されねばならないが、その前者についてみれば肩甲はCPDの場合における児頭(骨部)と異なり骨部の周囲は筋肉、脂肪などの軟部組織で覆われていてX線は無力である。

(島田鑑定と島田証言、甲第一九号証では、今日では超音波断層法により胎児肩幅の計測が可能であつて臨床に応用されているとし、乙第三〇号証意見書、神保鑑定、伊藤証言ではそれ自体を否定するといつた学術レベルの論争はあつても、少なくとも本件時の臨床に右が確立されていた証拠はない。)

後者についてみても超音波断層診断法によつて、<1>児頭大横径(BPD)を計測して児体重を推測する(脳室中隔エコーを求め、これと直交する最大径を計測するなど)こと、<2>あるいは同診断法により胎児大腿骨長、胸部前後径・左右径、頭殿長などを計測して児体重を推計することも試みられてはいたものの、<1>については児頭大横径と児体重との間にはプラスマイナス五〇〇グラム程度の誤差が生じてそれのみでは臨床に耐えないとの認識が一般的であるし、<2>についても本来は胎児発育障害を発見する目的で開発されたもので、ことに低体重児と巨大児の場合には誤差が大きく、巨大児確知資料としてはいまだ十分ではないとされている。

(弁論の全趣旨によれば、前記母性保護医協会は昭和五六年八月に研修資料「超音波電子スキャンの使い方」を発行しているが、その適応として胎児発育遅延、CPDは掲げられているが、巨大児は挙げられていない。昭和五八年公刊の乙四一号証は、これら計測を用いて児体重測定の誤差をプラスマイナス一三五グラムまで縮小したとしているが、これが広く臨床に利用されるに至つていないことを前提とした論述である。)

(五) 巨大児及び肩甲難産の予測と分娩方法の選択について

右によれば、巨大児ないし肩甲難産の発生の確定診断は分娩終了後までは医学上不能であるから、肩甲難産を回避するための唯一の防止策は、CPDと同様、母児に対する分娩前及び分娩中における臨床上の参考所見、可能な機能的・産科的診断法を駆使、総合して相関する予測(危険)因子・徴候を発見、集積し、その総合考察を通じて肩甲難産発生の可能性を予測し、右予測の下で児頭娩出前に予防的帝王切開術を断行するほかはないことになる(甲第一九号証論文は、肩甲難産予防の重要性とこのための帝王切開率の多少の増加はやむを得ない旨を述べている。)。

(乙第二七号証意見書、第二九号証、第三三号証意見書には、絶対的手術適応がないのに、巨大児と肩甲難産予測だけで予防的帝王切開術に踏みきるのは安易に帝王切開率を上昇させる暴論であるとするごとき見解が提示されている。もとより、自然分娩である経膣分娩を排して予防的帝王切開術を選択・実施すべき注意義務を肯定するには、母児の生命、身体への危険の発生が予知されるという手術の絶対的適応の存在が要件となるが、以上詳述した理由において肩甲難産予測に関連して予防的帝王切開術の絶対的適応を肯定する場面があると考えられる。そして、右記見解とても、分娩経過など産科的診断を加味して一定程度を超える肩甲難産予測に達した場合に予防的帝王切開術の適応を否定するものとは考えられない。付言すれば、かくして肩甲難産発生の有無、程度を適切に予測したうえ予防的帝王切開術を選択・実施した場合、肩甲難産を理由とする手術適応の存在しないことが事後的に判明しても、予防的帝王切開術を選択したこと自体について医師が問責されることはありえないと考えられる。)。

3  そして、以上詳述した理由と神保鑑定によれば、肩甲難産については巨大児の予測が基本となることが認められるから、本件の問題は、(1) 花子の妊娠、分娩中に巨大児ないし肩甲難産を予測させる因子ないし徴候が客観的に存在したか、(2) 存在したとすれば、相原医師らが経膣分娩可否の診断・選択の前提として、当時の平均的医療水準に従つて十分に予測因子ないし徴候を捕捉したか否か、(3) かくして把握されたところを基に肩甲難産発生予測の判断に到達しなかつたことが、当時の医療水準に照らして合理的であつたかに尽きるといわねばならない。

(一) ここで花子の分娩経過を再度省みれば次のとおりであつた。

花子の妊娠三九週の診察(昭和六〇年二月二〇日)では、ザイツマイナス、子宮底長三四センチ、体重六四キロ(非妊娠時より一七キロの増加)であつた。

花子は妊娠四〇週の昭和六〇年二月二六日午前七時に陣痛初来をみて分娩を開始(周期的かつ次第に増強して胎児娩出まで持続する陣痛が開始した場合に、周期が約一〇分以内になつた時点)して五時間半後(以下、同様に分娩開始後の経過時間で示す。)に入院したが、陣痛発作弱・間歇七~八分で八時間後のラミナリア挿入による理学的分娩誘発にかかわらず微弱陣痛が続き、陣痛発作三〇秒でやや中・間歇二~三分となつて有効な開口期陣痛の開始を見たのは一九時間五〇分後、さらにシントシノン点滴による薬物的分娩誘発がなされたのは二七時間後であつた。

児頭先進部は、分娩開始時においてもSPマイナス二センチで骨盤内に未固定で(座骨棘線と児頭先進部の位置関係で児頭がその上部にある場合はマイナス、〇で児頭固定とされる。)、その状態は二三時間後に至つても変化がなく児頭の下降はみられなかつた。二七時間後における前記シントシノン点滴により二九時間後にようやくSPマイナス一センチまで下降している。そして、分娩室に移つたのが三〇時間三〇分後、さらに適時と判断されて人工破膜の指示があつたのが三一時間五〇分後であつたから、このころ児頭が固定したものと推測される。

かくして、分娩第{2}期の開始は三三時間一〇分後であつたが、陣痛発作三〇秒で弱~中・間歇二分で怒責を開始しても陣痛が弱く児頭の下降は不良であるため、三三時間三〇分後(分娩第{2}期開始二〇分後)に佐藤医師がクリステレル圧出法(児頭先進部がすでに骨盤内に侵入しているとき、微弱陣痛、腹圧不全などにより分娩が進捗せず、母児に危険を来したとき陣痛発作に乗じて児を骨盤内に圧迫する)を試みたが、それでもなお児頭の下降は不良であつた。このため、三三時間四〇分後(分娩第{2}期開始三〇分後)には佐藤医師のクリステレル圧出法と並行して相原医師が吸引分娩を開始し、次いで会陰切開のうえ再度クリステレル圧出法と吸引分娩でようやく児頭が娩出され、前記肩甲娩出術を経て三三時間五三分後(分娩第{2}期開始四三分後)に体躯の娩出をみた。

(二) 右事実関係の下において、先ず巨大児予測因子ないし徴候の存否と相原医師の検査・診断について検討してみる。

(1) まず、レオポルド触診である。《証拠略》によれば、通常、産科医師は妊婦の健康診断の都度子宮や胎児の状況を触診すること、相原医師も妊娠末期の花子の(ちなみに、入院時の腹囲は一〇二センチ)妊娠検診においてレオポルド法による触診をしたが、右触診によつて児が通常より大きいことを把握していなかつたことが認められる。しかし、神保鑑定と同証言は、「羊水、子宮の幅、厚さ、母体の脂肪などの要因で三~四〇〇グラムの誤差はあつても、被控訴人が四三九〇グラムの巨大児であつたことから省察してみると、熟練した医師であれば触診により被控訴人の体重が少なくとも三八〇〇グラム以上であることは予測できたはずで、その推察がなされなかつたのは不可思議である」と判断しているのであつて、右によれば相原医師としても児が右に指摘された程度の体重であつたことは当然予測が可能であつたといわねばならない。もとより、右が巨大児、ましてや肩甲難産に直結するものでないことはこれまで詳述した理由から明らかであるが、弁論の全趣旨によれば、わが国の新生児体重の平均が三二〇〇~三三〇〇グラム程度とされていることからすれば、少なくとも児が通常以上の大きめに推移しているという趣旨ではもつとも基本的、かつ確実な巨大児出生の徴候の一つに挙げられたはずであつた。

なお、神保証言は、「相原医師が触診の結果をみても、逆に的野医院(前医)における児頭大横径の計測値が通常児より低めに推移しているとの客観的データーから、巨大児を否定したのではないかとも推測される。右は医師の裁量問題に属する」趣旨の供述もしている。しかし、右にいわゆるデーターは、児が発育中のせいぜい妊娠三三週の時点における過去の資料にすぎないのに比して、右触診が分娩開始直前になされていることからすれば、右のような客観的データーの存在自体が前記判断を覆すものと考えられず、右証言部分は採用できない。

(2) 日本母性保護医協会は昭和六〇年六月に研修ノート二五号として「合併妊娠症の取り扱い方」、平成二年一月に前記「産婦人科医療事故防止のために」、平成三年四月には研修ノート四一号「外来における妊婦管理」を公刊し、妊婦における糖尿病管理の重要性、巨大児との関連を指摘している。右によれば、妊娠糖尿病は母体の側では妊娠中毒症等、児の側では周産期死亡を初め、奇形、児体重(伊藤証言によれば、母体が糖尿病である場合、児の三分の一が巨大児、三分の一が通常児、三分の一がむしろ過少児といわれている。)などに関係するとされていて、右が直接巨大児を目したものでないにせよ、糖尿病と巨大児の関係に触れているものである。

右の指摘はすでに昭和五七年発表の甲第五号証論文、昭和五一年発表の甲第六号証論文のほか、昭和六二年公刊の乙第二五号証医学書、平成元年発表の甲第二〇号証論文においてもなされており、要するに、母体の妊娠糖尿病(妊娠により一過性に発現した糖忍容力低下)ないし糖代謝異常は巨大児を出産する可能性が高いこと(甲第一九号証は、巨大児生成の機序としては、母体高血糖の場合は順次、胎児高血糖、胎児インスリン分泌亢進、胎児発育促進という一連の変化、また肩甲の発育がインスリン依存症と指摘する。)、これらの素質を疑う妊婦として糖尿病の家族歴を有するもの、妊娠中尿糖をみるもの、妊娠末期までに体重増加が一五キロ以上で妊娠糖尿病を疑える状況などを挙げ、これらの場合は積極的にGTT検査(ブドウ糖負荷試験で妊娠糖尿病はこの試験でしか発見できない。)を実施すべきものとしている。

ところが、花子の実母は糖尿病に罹患して現に治療中であり、このことは母子手帳の記載や問診の結果から判明していたし(相原証言もこれを認める。)、花子の妊娠中には前医及び本件国立病院における尿糖検査において四回にわたり尿糖の陽性反応(《証拠略》によると妊娠後半期にある程度の尿糖が出現することは生理現象でそれ自体異とするに足りないが、本件国立病院における検査でも一〇〇〇ミリグラム/デシリットルの相当強度の陽性の反応であつた。)が出ていた。しかも、花子の妊娠中の体重増加は前記のとおり一七キロに達していた。神保鑑定の指摘によれば、妊娠中の母体体重の増加が二〇キロ以上である場合をもつて巨大児予測因子とされていて、花子の場合は右の体重増加のみをもつて直ちに巨大児出生の徴候が存在したとまでいうことは困難であるが、わが国の妊娠中の体重増加の平均が一〇ないし一一キロとされていることからすれば、体重増加が著しかつたことは否定できない。そして、以上によれば、本件ではGTT検査実施の要否との関係では巨大児を疑つて右検査をするべき予測因子が存在したということができる。

しかるに、相原医師は、糖尿病の診断法であるGTT検査ないし空腹時血糖を測定しなかつた。《証拠略》によれば、当時国立病院では、GTT検査の実施は尿糖検査で二回続けて陽性反応が出た場合を基準にしていて、花子の尿糖検査結果がこれに該当しないことや妊娠中毒症状も見られなかつたことからこれを実施しなかつたのであるが、右のような基準は尿糖検査の結果のみを念頭に置いた場合は一般的に承認されていても、花子のように明確に糖尿病家族歴があり、体重増加も著しい場合には右基準がそのまま当てはまらず、当時の医療水準として当然その検査がなされるべきであつた。

(ちなみに、直接児体重との関係を目したものでなかつたにせよ前医及び八田医師もGTT検査の必要を認めていた状況にあるし、島田、神保両鑑定も本件の経過では右検査が不可欠であつたと結論している。)。

そして、島田鑑定は、花子の体重が妊娠中に一七キロも増加している事実は児が大きくなる徴候であり、その母が現に糖尿病で治療中であつた事実の二点をもつて児が比較的大きいことが予想されたと結論していること、また、神保証人は、妊娠糖尿病ないし糖代謝異常が現在したかについては資料からは断定できない旨を述べているが、鑑定書(神保鑑定)では母親の糖尿病罹患、尿糖が四回にわたり陽性で、しかも妊娠末期に尿糖一〇〇〇ミリグラム/デシリットルが二回見られたことを理由に「花子が妊娠糖尿病ないし糖代謝異常を合併していた可能性、さらには巨大児出生の可能性は極めて高いと推測される」(一七頁)と判断していること、さらに、花子の第二子の妊娠時にも尿糖陽性反応が出ていて妊娠糖尿病と診断され、結局、第二子も巨大児であつたことをも併せ考えると、今となつてはこれを確認する術はないものの、当時、花子が妊娠糖尿病ないし糖代謝異常を合併していた可能性は極めて強く、前記徴候を基礎にGTT検査をしていればここでも巨大児出生の徴候を正当に捕捉できたものと考えられる。

(3) 神保鑑定によれば、かりに、巨大児出生の徴候が捕捉された場合には、さらに分娩開始前に超音波計測による児体重推定、骨盤X線計測によるCPDの再検症がなされるべきであるが、本件ではこれらの検査、計測はなされていない。前述のとおり、花子は初産で少なくとも絶対的CPDはなかつたけれども、少なくとも相原医師が児が大きめに推移していることを念頭に置いて超音波計測による児体重推定を実施していれば、五〇〇グラム程度の誤差を考慮しても児体重が三八〇〇~四八〇〇グラムの範囲内にあることを再確認できたものと考えられる(前述のとおり、これによる児体重推定は相当な誤差を見込む必要があるにせよ、《証拠略》によれば、児体重推定の有力な方法であることを失わないと考えられる。)。

(4) 確かに、本件では、分娩開始前の花子の子宮底長は三四センチで巨大児出生の徴候とされる子宮底長三八センチ(島田証言によれば、児頭が骨盤腔内に入り込む場合は三四、五センチでも巨大児であり得る。)以上に及ばず、同じくその徴候とされるCPDを疑う臨床所見もザイツ法による限りは存在しなかつたし、《証拠略》によれば、前医での児頭大横径の計測値も平均を下回る状況であつた。また、花子の場合、《証拠略》によると、巨大児出生の一般的母体条件(三五歳以上の経産婦、妊娠前体重七〇キロ以上、身長一六九センチ以上、妊娠中の体重増加二〇キロ以上、七日以上の予定日通過、前回出産時体重三五〇〇グラム以上)とされる条件はなかつたが、《証拠略》によれば、これらは巨大児のスクーリニング法で巨大児の積極的否定要素ではないと考えられる。

(5) 以上を小括すれば、分娩開始前において被控訴人が厳密に巨大児(四〇〇〇グラム以上)の定義に該当するだけの児体重があることまでは予測しかねたとしても、少なくともこれに近い程度の大きさで推移していることは、相原医師が触診の結果を正確に把握していれば予測可能であつたし、花子の糖尿病家族歴・尿糖検査の結果・体重増加の程度などの因子からGTT検査を施行していれば右を予測できたといわざるをえない。

(三) 前述のとおり巨大児の場合の肩甲難産発生頻度はせいぜい見積もつても一〇パーセント程度で大部分は問題なく経膣分娩が完遂されているのであるから、かりに児が巨大児ないしこれに近い程度の大きさであることが予測されたからとてそれが直ちに帝王切開術の適応に結びつくわけでなく、慎重な経過観察の下における試験分娩を試みて産科的診断を加味するのが一般的な診療指針となつている。そして、《証拠略》を総合すれば、以下のとおり認定、判断できる。

(1) 巨大児の試験分娩経過中に<1>分娩遷延、<2>分娩進行停止(児頭下降停止)、<3>分娩第{2}期遷延、<4>中在鉗子、吸引分娩の必要などが合併した場合に肩甲難産の危険が増大するため右をチェックする必要のあることは、肩甲難産に言及する前記論文、資料、さらに島田、神保鑑定のいずれもが指摘している。分娩はその三要素である胎児、産道、娩出力(陣痛・腹圧)の各状態、その相互関係が難易を決定するものであるが、右<1>ないし<4>は正常に分娩が進行しない徴候であり、試験分娩経過は肩甲難産においてもCPDと同様最終的決定的診断法としての役割を担うものと考えられる。もし巨大児で胎児、骨盤不均衡を想定した試験分娩中に、娩出力が正常でありながらこれらが見られた場合は、当然、胎児、産道へと問題が焦点化されるからである。

(2) 分娩遷延とは分娩開始から胎児娩出時までの時間、すなわち分娩第{1}期と第{2}期の合計時間が三〇時間を経過したものをいい、これが生理的限界とされている。しかるに、本件では分娩開始から子宮収縮剤シントシノン五単位を点滴して分娩誘発をした時点ですでに二七時間四〇分を経過していて、もしこの段階で分娩誘発などの産科的操作が加えられずにいたならば、児娩出までに三〇時間を経過するであろうことは容易に推測できた事例である。

ただ、乙第二六号証、神保鑑定、伊藤証言も指摘するとおり、花子の場合は原発性微弱陣痛(分娩第{1}期から既に微弱であつたもので初産婦では往々見られる。島田証言によれば児が大きい場合も微弱陣痛になることがあるが、本件ではその原因が巨大児であつたことによるのか否かは判明しない。)であつたから、右時点で陣痛誘発をしたこと自体は責められるべきものではないが、分娩遷延が陣痛微弱のみならず巨大児等により産道の抵抗が大きい場合は産道通過に支障がないかを調べ、それに問題がない場合に陣痛誘発が有効とされていること、巨大児予見がなされた場合には子宮収縮剤による陣痛強化などの産科操作を避けるべきとされていることからすれば、本件において相原医師が巨大児ないし肩甲難産の発生を想定して臨んでおれば、それ自体慎重になされていたはずであつた。加うるに、花子は分娩が開始しても児頭が未固定であつたが、初産婦で妊娠三八周になつても児頭が未固定というのは少なくとも通常所見ではないと考えられているからには、一層慎重な観察が要請されたはずであつて、もしそれらがなされていれば、相原医師においても分娩遷延の徴候及び原因を把握でき、かつこれに肩甲難産発生予測との関連で正当な位置付けを与えることができたと考えられる。

(3) 分娩第{2}期遷延とは子宮口開大から児頭娩出までの時間が二時間以上のものをいうが、本件ではクリステレル圧出法・吸引分娩を並行施行した結果として右はなかつた。しかし、現実には分娩第{2}期に入つても陣痛発作三〇秒で弱~中・間歇二分で花子が怒責を開始しても、さらにクリステレル圧出法を施行しても児頭は下降不良で、せいぜい中在(SPプラス一ないしプラス二)までしか下降せず児頭の娩出に至らなかつた(島田証言はこれを評して「この場合、クリステレル圧出法によつても下降しなかつたのは、児が大きい証拠である」としている。)。

クリステレル圧出法は、元来腹圧微弱のみが原因で分娩の進行がない場合には有効であるが、巨大児で胎児、骨盤不均衡が存在する場合は決して本来的な適応があるとは考えられない。本件ではこれに引き続き、相原、佐藤両医師によりクリステレル圧出法と吸引カップ装着による吸引を並行施行した結果児頭が下降し、さらに会陰切開とクリステレル圧出法と吸引を継続することにより、ようやく児頭の娩出を見、さらに肩甲難産が発生したものである。《証拠略》によると、吸引の適応は遷延分娩、微弱陣痛などであるが、近時は産道による児頭の圧迫を可及的に短縮し、母体の緊張・疲労を軽減する目的で予防的に使用する傾向もあり、相原医師がこれを施行したこと自体は、分娩継続時間にかんがみれば理解できないではないが、前記同様、巨大児ないし肩甲難産を想定していれば右の措置は当然回避されていたはずで(島田証言はこの点につき、「本件分娩経過からしてクリステレル圧出法によつても児頭下降がなかつたものが、吸引分娩で簡単に生まれるとは考え難く、無理な分娩だつた。ここで吸引まで施行して経膣分娩にこだわつた理由が理解できない」としている。)、ここでも肩甲難産発生の危険を正当に把握できたものと推測できる。

(四) 本件証拠上で窺う限り、本件国立病院では、診療指針としても、本件における具体的分娩経過を見ても、こと胎児の産道通過予測については狭骨盤やCPDのみを念頭に置き、ザイツ法マイナスの場合は、胎児の大きさいかんにかかわらず(極端な巨大児の場合は別論としても)経膣分娩を選択するのを常とし、そのうえで児頭の下降が不良である場合は、ルーティンとしてクリステレル圧出法、吸引分娩を施行し、なお児頭の下降や娩出を見なかつた場合に初めて帝王切開術を考慮し、肩甲難産予防の視点から経膣分娩を選択していなかつたことを推測させる。右事実は、乙第二一、第三五号証、相原証言や、分娩中における前記相原、佐藤両医師の対応、また、花子が、触診の際、相原医師の「えらくお腹が大きいな。これは入れ物を大きくしたな」との、また、分娩直後に「これは大きい。四キロはありそうだ」との発言を(花子の本人供述)、花子の義母は昭和六〇年三月初旬ころ担当医に説明を求めた際「予定が一か月違つていたのではないか」との発言を聞いていること、これに本件国立病院での初診日以外には超音波計測などをまつたく施行していない事実に裏付を見ることができるものといわねばならない。

確かに、《証拠略》によれば、本件国立病院で昭和五一年から昭和六〇年までの一〇年間に取り扱つた全分娩例三六七二件のうち、四〇〇〇グラム以上の巨大児の出産は七九件(二・一パーセント)で、そのうち七二件(九一・一パーセント)は経膣分娩を選択して本件のような分娩麻痺による後遺症の発生は皆無であつたことは事実であるが、実際には前記のとおり、相原医師も肩甲難産や一過性の分娩麻痺を経験していたものである。

(五) 以上を総合考察すれば、本件では肩甲難産に関連して分娩管理上注意を払わねばならない切迫した予測因子ないし徴候が二重、三重に存在したのに、相原医師らが触診の結果の判断を誤り、産科臨床における医療水準に照らして当然なされるべきGTT検査を施行しなかつたことなどにより巨大児の予測がなされなかつたために、これに端を発して分娩経過中に顕れた後続の肩甲難産発生予測因子がことごとく見落とされた結果、帝王切開術の適応が存在したのに経膣分娩を継続した過失、すなわち分娩選択方法を過つた過失があるといわねばならない。

控訴人は、本件における分娩選択方法は医師の裁量の範囲内にあると主張している。もとより、複雑な分娩機序と分娩の個別性にかんがみれば、一般論としては、産科医が分娩方法として帝王切開術を選択、実施するか否かは、その高度の知識、経験、技量に裏打ちされた専門的裁量に属することは控訴人が強調するとおりであるが、本件のように前提として当然なされるべき資料収集が十分になされなかつた場合やそれに正当な評価を与えなければ、およそ適切な分娩方法の判断をなしえないのであるから、右を医師の裁量問題に併呑することの誤りは明らかであつて、右主張は採用できない。

さらに控訴人は、帝王切開症候群につき縷々主張しているが、右も一般論を展開するにとどまり本件具体的分娩経過において帝王切開術の要約に欠ける点を主張立証するものでないから、それ自体前記判断を左右するものではない。

(損害について)

一  控訴人の責任

控訴人は相原医師らの使用者であつて、前記認定事実によれば本件分娩麻痺は同医師らの事業執行についての過失によつて生じたものであるから、控訴人は民法七一五条により被控訴人の被つた損害を賠償する責任がある。

二  後遺障害

《証拠略》によれば、被控訴人の左上肢麻痺は、肩外転四五度、外施〇度、肘は屈曲三〇度から七〇度まで可能であるが、極めて運動が遅く、前腕は回内外中間位で運動に乏しくて手指屈曲多少可能にすぎず、平成元年六月一三日実用性のない廃用手として症状固定したことが認められる。そして、現在、被控訴人の左腕は右腕より約一〇センチ短く、掌も右に比して四分の三程度の大きさである。

右後遺障害の程度は自賠法施行令別表五級六号に相当するものというべきである。

三  損害

1  治療費及び交通費

《証拠略》によると被控訴人は昭和六〇年三月一三日から症状固定時である平成元年六月一三日まで、その都度花子に付き添われて本件国立病院、国立相模原病院、埼玉医大、東大病院に三八三回(日)通院して、理学療法、リハビリテーションの治療を受け、その治療費として二四万五八八〇円、花子の交通費(電車・バス)として二七万六〇四〇円を支出したことが認められる。

2  逸失利益

賃金センサス平成元年第一巻第一表・全国性別・学歴計一八歳~一九歳平均賃金によると、その年収は被控訴人主張額を下回らないことが認められ、労働能力喪失率を七九パーセント、稼働期間を一八歳から六七歳までとして新ホフマン方式により逸失利益の現在価格を算出すると、二五五六万五八三八円(一八三万〇七二〇円×〇・七九×一七・六七七一 円未満切捨て)となる。

3  慰謝料

(一) 被控訴人主張の傷害慰謝料は、症状固定時までの通院慰謝料を求めるに帰着するところ、前記診療経過や期間をも勘案すると、その慰謝料は金二〇〇万円をもつて相当と考えられる。

(二) 後遺障害慰謝料については、後遺障害の程度、内容、逸失利益、事故発生の態様、その他諸般の事情を勘案すると、金九四〇万円をもつて相当と考えられる。

4  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、被控訴人が本件訴訟を被控訴人代理人に委任したこと、本件事案の内容、認定額等諸般の事情にかんがみ、被控訴人が代理人に支払うべき弁護士費用のうち金三五〇万円は控訴人に負担させるのを相当とする。

(結論)

以上のとおりであるから、被控訴人の控訴人に対する請求は金四〇九八万七七五八円とこれに対する本件不法行為の日の翌日である昭和六〇年二月二八日から完済まで民法所定年五分の遅延損害金の支払を求める限度で理由があるが、その余の請求は理由がないから棄却すべきである。よつて、本件控訴は理由がないから棄却し、附帯控訴にもとづき原判決を主文のとおり変更し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 角谷三千夫 裁判官 渡辺安一 裁判官 長門栄吉)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例